さて、何を書こうか
この記事は#AFTAC2019 の20日目の記事です。
AFTAC2019の12月20日分を頂戴した者です。
さて、何を書こうかな。
スタジオジブリの「もののけ姫」から、エボシ御前の言葉を紹介したいと思います。少しだけ考察のようなこともします。
興味のない人や時間のない人は「最後に」までとんでください。
紹介するのは、
「賢しらにわずかな不運を見せびらかすな」
というエボシの言葉です。
<この言葉までの流れを簡単に説明>
東北あたり?の少年アシタカ(主人公)は、村を襲ったタタリ神と呼ばれる化け物を退治したが、その際、右腕に死に至る呪いを受けてしまう。そのせいで故郷の村を追われ、タタリ神を生んだ地を目指し、西へと旅立つ。そして、エボシが長であり、タタリ神を生んだ集落に着く。
いろいろあって、アシタカはエボシとその集落の人々、サン(もののけ姫)へ向けて、呪われた右腕から禍々しいオーラを放ちながら、
「みんな見ろ これが ——(省略)——呪いだ」
と言う。
それに対し、エボシが
「賢しらにわずかな不運を見せびらかすな。その右腕 切り落としてやる」
と言い返す。
アシタカはいずれ村長となる身分であり、顔も良く、有能で、呪いを受けるまではおそらくちやほやされてきたと思います。カヤ(陽キャNo.1可愛い女子)との結婚も決まっており、いわゆる勝ち組です。
一方、エボシは身売りされたりと、散々な過去をもち、いわゆる負け組から、集落の長へと登りつめた人です。
たしかに、エボシの立場に立てば、
『不自由なく暮らしてきたボンボンが、ちょっと呪いにかかったくらいで、悲劇を気取るな』
と思う気持ちも分からなくはないです。
が、死に至る呪いは、現代人の感覚では「わずかな不運」ではないと思います。
「死ぬこと以外かすり傷」と聞いたことがあります。死に至る呪いがわずかな不運ならエボシにとっては死ぬこともかすり傷ということになります。エボシすごいな。
終着点が見えないので、もののけ姫の話はここで終わります。
少し困っていることがあります。
有名人の病気の公表があるたびに「賢しらにわずかな不運を見せびらかすな」という言葉が頭に浮かんでしまうのです。
多くの有名人が、死に至らない病気や死に至ることもある病気を公表します。そのたびに、この言葉が頭に浮かび、(頭に浮かんだ言葉と自分の気持ちの区別がつけづらいので)そんな風に思う自分が最低な人に思えてきてしまいます。そんな風には思ってないはずなのに。
もしかしたら、実際に最低なだけかもしれませんが……。
条件反射で浮かんでくる言葉を浮かばなくするにはどうすればいいのでしょうか……?
最後に:米津玄師「馬と鹿」のMVを見た
先日、米津玄師「馬と鹿」のMVを見ました。
その中で、大きめの何かを吊るして燃やしているシーン(燃えている何かを見ているシーン)がありました。何を燃やしていると思いますか?
実際はよく燃える材質の何かなのでしょうが、そういうことではなくて。
最近「lemon」と「馬と鹿」を聴き始めた新参者の意見ですが、あの燃えている長方形?筒型?の大きな箱?には、顔の付いている何か(ぬいぐるみやお人形や、もしくは……)が入っているんだろうな、と思っています。
好き勝手に書いてしまいました。支離滅裂で読みにくかったと思います。間違った解釈だらけだと思います。ご容赦を。
主催の@ChinChanTwo、読んでくれた人、ありがとう。
「共に生きよう」(アシタカの言葉)